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試験管が最後の瞬間まで戦うとき 40歳の日本人母親が卵の貸し出しを検討

  最終更新日:2023-08-22

 

私は32歳で結婚し、そのうち子供も自然に授かると思っていました。しかし35歳を過ぎても妊娠できず仕事と並行しながら不妊外来に通院しはじめ、37歳の時本格的に不妊治療を始めました。それから日本では妊娠につながらないまま3年間で3つの病院を転院しました。

3つ目の病院で検査をした結果、AMHの数値が0.02と低く卵子の数が残り少ない事がわかりました。日本の病院では「早めに治療を進めないとこのままでは排卵が止まってしまいます。治療のステップアップを早めに進めましょう。」と告げられ、焦りの気持ちから家族に八つ当たりしてしまうこともありました。その様に気持ちの整理もつかないまま様々な検査や治療を経て程なくして体外受精を受けることになり、採卵では卵子が2個しか取れず体外受精を受けるごとに毎回採卵しなければならない状況でした。それはとても痛みを伴いました。また、体外受精を受ける2週間前から排卵を促す注射をする為、毎日通院する必要があり仕事と治療の両立もとても大変でした。そして治療を続けても全く結果が出ず、もう子供を授かれないと思い毎晩ひとりで泣いていました。養子縁組も考えましたが、どうしても夫の子を授かりたいという気持ちが強くあきらめる事ができませんでした。

そんななか、インターネットで台湾での卵子提供のことを知りコウノトリ生殖医療センターのホームページにたどり着きました。その中には妊娠の成功率も高いというデーターも公表されていたのですぐ連絡を取り、事前のメールでの質問にもすぐ日本語で返答がきました。しかし、日本では公に卵子提供についての情報などが少なく不安な気持ちと、もしかしたら妊娠が可能かもしれないという期待が半分半分のままでした。そのまま日本での書類関係の手続きを済ませ実際に診療所に行ってみると診療所内は明るくとても清潔で気持ちも前向きになり日本での不安な気持ちも払拭され治療に専念することができました。治療を進めるなか私が不安そうな顔をしていると先生をはじめ日本語を話せるスタッフが励ましてくれ笑顔で丁寧に説明してくれたので安心して治療に臨むことができました。検査も痛みが少なくスピーディーに終わり、仕事との両立も無理なく進めることができました。その検査の中で私の場合はERA検査で着床のタイミングがずれている事が移植前にわかりました。そして2回目の移植でついに妊娠が発覚し妊娠検査薬で陽性が現れたときは現実なのかと何度も検査薬を確認してしまいました。その様に事前の検査で不妊の原

因をしっかり調べてもらえる事も良い結果につながったのだと思います。

41歳で無事に男の子を授かることができ、夫の家族をはじめみんなとても喜んでくれました。顔は夫にそっくりです。出産して1ヶ月が経とうとしている今、息子の寝顔をみていると愛おしくて涙が出てきます。もし子供を授かることができなければ、こんな気持ちも味わうことができなかったと思います。ドナーの方やコウノトリの関係者の方々に日々、感謝の気持ちでいっぱいです。

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