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成功事例

  • 【童総合病院】インドネシアの患者に対する緊急の脳梗塞手術
    【童総合病院】インドネシアの患者に対する緊急の脳梗塞手術

    【童総合病院】インドネシアの患者に対する緊急の脳梗塞手術

    十数年にわたり台湾で頑張ってきた印尼からの患者、ある日目が覚めなくなり、急遽病院に搬送され検査を受けた結果、脳梗塞と判明しました。 緊急の頭蓋開頭手術を経て、手術後には呼吸器から成功裡に脱出。2か月半の入院治療を経て、徐々に病状が安定し、ついにはご自宅に戻れました! 約5時間半の飛行の途中、童綜合医院Formosa SOS チームの細やかなケアを受け、患者は順調にジャカルタに到着し、安全に帰宅できました。 成功するためには各部門の協力が必要であり、この場を借りて印尼駐台代表処および長榮航空に感謝の意を表し、転送プロセス全体が順調に進行できるようにしていただきました。改めて心からの感謝の意を表明いたします。 一緒に脳梗塞を理解しよう: 脳梗塞は前兆を発することがあり、急な頭痛、視覚異常、言葉の困難などがあります。 これらの症状が現れた場合は、すぐに医師の診察を受けるべきです。 健康的な生活習慣を維持することが奨励されており、低脂肪食、定期的な運動、禁煙、飲酒の制限が含まれます。定期的な検査は特に慢性疾患のリスクがある方にとって、脳梗塞を予防する鍵となります。 脳梗塞は重篤な脳血管疾患ですが、これらの簡単な生活習慣と適切な医療を通じて、リスクに対処するためにより良い方法が見つかります。

    #心血管治療
  • 🌹初めて母になります。~ロマンチックな国際恋愛~
    🌹初めて母になります。~ロマンチックな国際恋愛~

    🌹初めて母になります。~ロマンチックな国際恋愛~

    Lさんが孕医へ相談に来た際、もともと「卵子凍結」をする予定でした。しかし黎医師の診察を受けた後、Lさんのロマンチックな国際恋愛のおはなしとフランスですでに籍を入れたお話を伺いました。検査の後、珍しいハート型の子宮であることがわかり、血液検査の結果AMH値が同年代の女性と比べると低いことがわかり卵巣機能が理想的ではないと分かりました。その他に着床の心配もありました。そのため黎医師は検査結果をご夫婦に細かく分かりやすく解説しました。年齢や卵巣機能の低下やすでに結婚していることを考慮し、子供を持つという夢と国際結婚を素敵な結末にしたいという考えを尊重し、卵子凍結ではなく直接体外受精に進むことに決めました。o:p>/o:p> o:p>/o:p> Lさんは医師の見解をきき体外受精に進むことを決め、治療期間中は旦那さんも台湾に残り支えていました。Lさんは薬を使用し卵胞を刺激し、採卵手術を行い、最終的に胚を凍結することに成功しました。しかし仕事が忙しかったこともあり、ご夫婦は先に自然妊娠を試すことにしました。しかし努力はしましたがいい知らせはありませんでした。旦那さんが帰国することから子供を持つ夢を叶えるために、今年の7月に孕医に戻り医師と相談後に政府の体外受精補助政策を利用し、融解胚移植をすることに決めました。o:p>/o:p> o:p>/o:p> 移植当日、Lさんは嬉しそうに移植室へ入っていきました。移植前に医師から凍結していた胚は3BCでしたが、融解後6BBになったと告げられたからです。1回の移植でママになりたいという願いが強くなりました。o:p>/o:p> o:p>/o:p> Lさんはすでに妊娠10週を迎え、エコーでもはっきりと胎児の心臓の音が聞くことができます。Lさんと旦那さんの愛の結晶です。いまはフランへ帰る準備をし、帰国後はフランスにいる友人にこの出来事や喜びをシェアしてくださいます。o:p>/o:p> o:p>/o:p> 孕医が今回行った功績は、ご夫婦が細かく、安全のサービスや順調な妊娠をご提供できたことに国際医療部も大変うれしく思っていおります。また孕医では台湾に在住されている外国籍の方や、台湾の方が子供を持つ夢を叶えるためのサポートをこれまで以上に努力してまいります。o:p>/o:p>

    #生殖医学
  • 体外受精に何度も失敗、卵子バンクで赤ちゃんを産むのを手伝ってください
    体外受精に何度も失敗、卵子バンクで赤ちゃんを産むのを手伝ってください

    体外受精に何度も失敗、卵子バンクで赤ちゃんを産むのを手伝ってください

    先日待望の子どもを出産し、心から幸せをかみしめています。私は40歳からの4年の不妊治療で日本の有名実力病院と言われる4病院で治療を経験しました。結果が出なかった事や自分の年齢を考え、卵子提供での不妊治療のアプローチを開始しました。自分達夫婦が主体となって治療を進める事が出来て、仲介業者を通さず費用も抑えることを考えて台湾での卵子提供を目指しました。実は、初めての卵子提供での治療は台湾の別の病院を選択しました。その病院では、ドナーさんからの採卵数が確保出来ず、2回の採卵を依頼する事となりました。1つしかできなかった胚盤胞の数にただ茫然としたことを思いだしました。私は同じドナーさんにお願いして2回目の採卵をしてもらいましたが2回目も同じ感じでした。結果、できた胚盤胞を2回に分けて移植しましたが全くダメでした。2倍の時間と費用をかけて移植可能な胚盤胞をなんとか3個確保し移植しましたが妊娠できませんでした。これで不妊治療を終了しようとする夫をなんとか説得して昨年、コウノトリ生殖医療センターでの治療を開始しました。 コウノトリのスタッフに流暢な日本語のメールで私達の細い質問に応えてもらい、適切な指示をもらったことで順調に初診を迎えました。コウノトリの初診は、ゴージャスな病院内のホテル1泊と空港から病院までの送迎がセットとなっていて、安心の初診となりました。お医者さんは優しく爽やかで、私たちの細かい質問に医学的な根拠を踏まえてしっかりと答えてくれた為、安心してその後の治療にすすめました。初診を終え、メールで私たちの希望に合ったドナーを紹介してもらえました。20個の凍結卵子保有のドナーさんの卵子は、受精後11個も胚盤胞になってくれました。コウノトリでは私の身体状況に合わせて移殖前に必要な薬の調整を指示してもらいました。また、日本のバックアップ病院の検査結果を踏まえて移植可能な日が指示されました。移植後の安静度はやり過ぎかも・・と思うぐらい慎重で、帰国後のクスリの服薬に関しても担当者から何度もメールで確認してもらったため飲み忘れなどなく過ごせました。バックアップ病院で妊娠確定の検査結果を聞いた時には治療の厳密さには理由があるんだと確信しました。 コウノトリ生殖医療センターでの初診から1年ちょっと経ち、私は、出産ました。お陰様で諦めかけていた家族の形で生活が出来ていると思うと感謝しきれないほどです。本当に有難うございました。

    #生殖医学
  • 台湾でドナーの写真が見られないのが心配
    台湾でドナーの写真が見られないのが心配

    台湾でドナーの写真が見られないのが心配

    私は晩婚、39歳で結婚し、すぐに不妊治療を始め、採卵は30回以上 移植は14回しましたが、化学流産止まりで、43歳になっていたし、子供のいない人生を受け入れなければならないのかと絶望的な気持ちでいました。 すると、私より10歳くらい年上の知人が、養子なのか卵子提供なのか分かりませんが赤ちゃんを育てていると知り、とても羨ましくなりました。 同じ頃、台湾で卵子提供に挑戦中のアラフィフ女性のブログを目にし、英語も話せず飛行機も苦手な私でも台湾での卵子提供なら現実的かもしれないと考えるようになりました。 欧米の卵子提供も考え ましたが、エージェントという仲介業者が胡散臭くて躊躇してたのですが、台湾は仲介業者を挟まずクリニックと直接やり取り出来るので明確だし代金が安いこと、国で管理されているので安心だと思いました。 台湾で日本人向けに卵子提供をやっているクリニックで有名な所が2つあるというのをブログで知り、 2つのクリニックの説明会に参加したりカウンセラーさんとメやり取りしましたが、コウノトリ生殖医療セ ンターの卵子バンクというシステムなら、すでに採卵された卵子が凍結されているので、ドナーさんの採卵状況で一喜一憂しなくていいこと、王副院長の穏やかで誠実そうな感じや担当カウンセラーのレスリーさんが親身になってくれたことも決め手となり、コウノトリさんでお世話になりました 。特にレスリーさんには、私が緊張しやすい性格であることを踏まえ、飲むお薬の間違えなどがないようにその都度メールや電話でアドバイスして頂き本当に感謝して います。 特に卵子バンクは、夫婦で"最短距離で妊娠するにはこれだろう"と話したのですが、本当にその通りとなり、説明会参加の1年後には出産して子供の名前を考えていました。卵子バンクはとても効率的なシステムだと改めて思いました。 コウノトリさんは初診までに検査しなければならない項目が多く、面倒でしたが、それだけ万全な体制で移植してもらえるんだという安心感になりました。 台湾の卵子提供はドナーさんの写真が見れないのは不安じゃないのかと言う意見もあるかと思いますが、確かにそういう不安はありましたが、写真を見れない分 色々迷わなくていいなと思いました。 私は血液型が自分と同じで身長体重が自分と近い人を2人選び、あとは説明会でお会いした スタッ フさんとレスリーさんが『こっちの人の方が私に雰囲気が近い』と選んでくれた人にお願いしました。 産まれた子供は想像以上に可愛い顔で、主人の親は孫がうちの子含め5人いますが、孫の中でいちばん可愛い顔していると言ってました。 子供を産めないことで自分に自信が持てず、人とも深く付き合わないようにしてたのですが、出産後は可愛い子供を色んな人に見てほしくて積極的に色々出かけていて、明るい自分に戻れたことも嬉しいです。 日本で不妊治療をされている人は、自己卵以外は考えられないと思っているでしょうが、どうしても子供のいない人生は受け入れられないと思っているのなら、こういう選択肢もあるんだよって思います。血は繋がっていないのに、お腹の中からずっと一緒 だったせいか、血が繋がっている夫より私になついてくれるし、本当にとても可愛いですよ。

    #生殖医学
  • 20歳で閉経したらどうやって母親になれるの?
    20歳で閉経したらどうやって母親になれるの?

    20歳で閉経したらどうやって母親になれるの?

    私たちが初めて卵子提供というの言葉を耳にしたのはここ3年くらいでごく最近です。卵子提供で体外受精するまでにいろいろありました。たくさん辛い想いをして、涙も流してきました。特別養子縁組を考えたこともありました。私と血が繋がっていないのなら、夫婦二人共、血が繋がってない方がいいのではないかと考えたこともあったからです。 夫婦でたくさん話し合って卵子提供を受けようと決めました。決めたきっかけは、私が夫の子供を産んで育てたい、そう思ったからです。生物学上、私と血が繋がっていません。でも、私が産むことに変わりはなく、妊娠して子供を産むことが出来る体ならば出産を経験したいと思いました。 卵子提供ということを知ってから、いろいろ調べました。日本の法律では認められていないため、日本で卵子提供するには審査が厳しく、お金もたくさん必要になります。審査が厳しいので条件をクリアしている間に歳をとってしまって、気付けば高齢出産になり、妊娠を継続することが出来なくなることもあると聞いた時は焦りました。 卵子提供したからといって必ずしも妊娠出来るとは限らないし、妊娠出来ても継続することが出来るとも限らない、無事に出産出来るとも限らない それは卵子提供だけに限ったことではありませんが、私たちはそれでも卵子提供に踏みきりました。やらないで後悔したくないという想いが強かったからです。 卵子提供の説明会は2つ行きました。 そのうちのコウノトリの説明会では院長先生の言葉に私は救われました。 夫はこの時、まだ迷っていたので説得するために説明会に参加しました。 院長先生の言葉が心に響いた夫は背中を押されるように、それからは卵子提供を前向きに考えるようになり、実際に卵子提供を終え、無事に子供が生まれました。私たち夫婦にとって、とても有意義なものになりました。 とても幸せです。私とは血が繋がっていないということは頭から離れることはありませんが、それよりも私がお腹の中で育て産んだことに変わりはなく、お腹を痛めて産んだ我が子は可愛くて仕方がありません。 将来、子供には卵子提供の話をします。 子供が言葉がわかるようになってきたら少しずつ話していき、言葉が理解出来るようになったらしっかり話してあげようと、私たち夫婦は決めています。この場を借りて、私たち夫婦に大事は卵子を提供してくれた方へお礼を申し上げたいと思います。 ありがとうございます。 私たち夫婦はあなたに卵子を提供してもらったおかげで、子供を授かるとこができ、無事に出産することも出来ました。あなたのこと、子供に伝えさせていただきます。パパとママは名前も顔も知らないけれど、あなたに助けてもらったんだよと。 本当にありがとうございました。 私たちはとても幸せです。 幸せをありがとうございます。 これから先もたくさん試練があると思います。 でも、家族3人で力を合わせて乗り越えていきます。 そして卵子提供を悩んでいる方へ 卵子提供は賛否あると思います。 私の夫の両親も初めは反対でした。でも、今は孫を見て嬉しそうにしています。成長も楽しみにしてくれています。 どんな形で生まれてきても子供は、孫は宝物になるのです。幸せにしてくれるのです。また、私のように20代で閉経状態だと言われるのは少ないと思います。どんな年齢であれ、卵子提供という選択肢があってもいいと思います。 子供が出来ないことで悩んで苦しんできた私は今、とても幸せです。 コウノトリの院長先生やスタッフの方々の支えがあったおかげで掴みとることが出来たのだと思っています。ありがとうございました。子供が大きくなったらゆっくり台湾へ旅行に行き、成長した姿を見せたいと思います。

    #生殖医学
  • 試験管が最後の瞬間まで戦うとき 40歳の日本人母親が卵の貸し出しを検討
    試験管が最後の瞬間まで戦うとき 40歳の日本人母親が卵の貸し出しを検討

    試験管が最後の瞬間まで戦うとき 40歳の日本人母親が卵の貸し出しを検討

    私は32歳で結婚し、そのうち子供も自然に授かると思っていました。しかし35歳を過ぎても妊娠できず仕事と並行しながら不妊外来に通院しはじめ、37歳の時本格的に不妊治療を始めました。それから日本では妊娠につながらないまま3年間で3つの病院を転院しました。 3つ目の病院で検査をした結果、AMHの数値が0.02と低く卵子の数が残り少ない事がわかりました。日本の病院では「早めに治療を進めないとこのままでは排卵が止まってしまいます。治療のステップアップを早めに進めましょう。」と告げられ、焦りの気持ちから家族に八つ当たりしてしまうこともありました。その様に気持ちの整理もつかないまま様々な検査や治療を経て程なくして体外受精を受けることになり、採卵では卵子が2個しか取れず体外受精を受けるごとに毎回採卵しなければならない状況でした。それはとても痛みを伴いました。また、体外受精を受ける2週間前から排卵を促す注射をする為、毎日通院する必要があり仕事と治療の両立もとても大変でした。そして治療を続けても全く結果が出ず、もう子供を授かれないと思い毎晩ひとりで泣いていました。養子縁組も考えましたが、どうしても夫の子を授かりたいという気持ちが強くあきらめる事ができませんでした。 そんななか、インターネットで台湾での卵子提供のことを知りコウノトリ生殖医療センターのホームページにたどり着きました。その中には妊娠の成功率も高いというデーターも公表されていたのですぐ連絡を取り、事前のメールでの質問にもすぐ日本語で返答がきました。しかし、日本では公に卵子提供についての情報などが少なく不安な気持ちと、もしかしたら妊娠が可能かもしれないという期待が半分半分のままでした。そのまま日本での書類関係の手続きを済ませ実際に診療所に行ってみると診療所内は明るくとても清潔で気持ちも前向きになり日本での不安な気持ちも払拭され治療に専念することができました。治療を進めるなか私が不安そうな顔をしていると先生をはじめ日本語を話せるスタッフが励ましてくれ笑顔で丁寧に説明してくれたので安心して治療に臨むことができました。検査も痛みが少なくスピーディーに終わり、仕事との両立も無理なく進めることができました。その検査の中で私の場合はERA検査で着床のタイミングがずれている事が移植前にわかりました。そして2回目の移植でついに妊娠が発覚し妊娠検査薬で陽性が現れたときは現実なのかと何度も検査薬を確認してしまいました。その様に事前の検査で不妊の原 因をしっかり調べてもらえる事も良い結果につながったのだと思います。 41歳で無事に男の子を授かることができ、夫の家族をはじめみんなとても喜んでくれました。顔は夫にそっくりです。出産して1ヶ月が経とうとしている今、息子の寝顔をみていると愛おしくて涙が出てきます。もし子供を授かることができなければ、こんな気持ちも味わうことができなかったと思います。ドナーの方やコウノトリの関係者の方々に日々、感謝の気持ちでいっぱいです。

    #生殖医学
  • #生殖医学
  • Reunion with Japanese family!
    Reunion with Japanese family!

    Reunion with Japanese family!

    こんにちは! お久しぶりです(^^) 3/1に3735gの男の子を出産しました! 病院に通っていた時は大変お世話になりました。皆さんのおかげで無事に産む事ができました。 医療の専門的な中国語に不安がありましたが、的確な日本語で通訳していただき、安心して通う事ができました! 先生もおおらかで頼りがいがあり、安心して任せられる先生でした! 病院が休みの時もLINEで連絡するとすぐ返信があり、不安の中心強かったです! 謝謝您(^∇^)

  • 日本妊活物語 卵子提供で出会った幸せ
    日本妊活物語 卵子提供で出会った幸せ

    日本妊活物語 卵子提供で出会った幸せ

    私は結婚したのも30代半ばだったので遅かったのですが、それまでずっと健康には自信があったのでまだ大丈夫だろうとなんとなく思っていました。 でも3年目くらいに突然ホットフラッシュのような症状がでるようになり病院で血液検査をすると 卵巣機能の数値(AMH)が低く、早発閉経と診断されました。 医師の説明を受けても納得がいかず違う病院へも行きましたが結果は同じで”子供を作るのはかなり難しいです。どうしてもあきらめられない人は海外で卵子提供をする人もいるようです”と言われました。それでも私はなにかの間違いなのでは? と病院をいくつも替えて3年不妊治療をしました。 はじめのうちは少ないながらも採卵できましたが受精には至らず、そのうちに採卵もできなくなりましたが病院に通うのをやめたら子供は絶対にできないので通うのをやめられずにいました。 でも とうとう病院のほうから”これ以上はうちの病院では何もできることがない”と言われ毎日泣いてばかりいました。 外に出ると家族連ればかりに目が行き、家にいても近所の赤ちゃんの泣き声や小さな子供の声が聞こえてきて、テレビを見ていても子供や家族がでてくるCMを見るのが本当につらかったです。毎日がほんとうに苦しくてこれからどうやって生きて行ったらいいのか全くわかりませんでした。 子供がいなくても生きがいをもって暮らしている人たちはたくさんいます。 そして人によって子供が欲しい度合いが違うと思います。 私はどうしてもほしくてほしくてしかたのないタイプの人間でした。 子供のいない人生を生きていくしかないなら海外旅行やお金のかかる趣味や高い車を買うのもいいかもしれない と考えてみましたが 結局どれもいらないと思ってしまいました。 子供のいない人生をどう生きていったらいいのか それをずっと考えて…でも考えても考えても何も思い浮かびませんでした。 ”そんなに子供がほしいなら養子をもらえば?”と言う人もいました。 でも私は、夫と自分の子供が欲しかったのです。それがだめなら夫の子供が欲しいと思いました。せめて夫を父親にしてあげたかった。それに自分で産むことができれば子供とつながりが持てると思いました。卵子提供は、最初にきいてからずっと頭の片隅にありました。 両方の親に卵子提供の同意を得るため説得に行った時、反対されて”そこまでしなくてもいいのでは?どうしてそんなに子供がほしいの?”と説明を求められましたが、 私はどうしてそんなに子供がほしいのか自分でもわからなかったのです今も説明できません。 何度も諦めなければいけない!子供のいない人生をいきなければいけない!とずっと考えてそうしようとしてみましたがだめでした。どうしたら諦められるのか逆に教えてほしい。諦められるなら苦しい気持ちから解放されて違う目標を見つけて頑張りたいのだと伝えました。 何度も話し合った末、両方の親も折れてくれました。 今では、孫ができたことを本当に喜んでくれています。 私は、妊娠がわかったときから本当に ものすごく幸せで、今まで苦しかった家族連れや子供を見ることが驚くほど平気になりました。 後悔は全くありません!むしろもっと早く決断していれば、私の年齢の面もお金の面もよかったのにと思っています。 毎日 生まれてきてくれた子供の顔を見るたびに、うちに来てくれて本当にありがとう!絶対にしあわせにするからね!と思います。 毎日大変だけど幸せで、無理だと思っていた生活が送れていることに感謝をしています。 ただ、この子が知った時、私とこの子の関係がどうなってしまうのかという不安があります。 ネットなどでは批判的な意見を多く目にします。子供の立場になって考えたらつらい思いをさせてしまうのだろうと思います。 でも私はこうするしか生きていけませんでした。 この子をその分 幸せにするしかないと思っています。恨まれたとしても、責められたとしても絶対に”愛している”と言い続けようと決めています。 今、不妊治療をしている方たちは、不安と苦しさでいっぱいだと思います。 そのご夫婦の子供の欲しい度合いや夫婦間の温度差や状況もあるでしょうし、 もしかしたら世の中には卵子提供をして後悔をした人たちもいるのかもしれないと思うとなんとも言えませんが じっくり話し合って後悔のない選択をしてほしいと思っています。 私の夫は、はじめは”子供はいなくてもいい”と言っていました。私に気をつかっていたのかもしれません。 でも今はびっくりするくらい子供をかわいがっていて、恥ずかしくなるくらい周りに自慢しています。人ってこんなに変わるんだなと思いました。 本当はずっと子供が欲しかったんだなと感じました。 私は卵子提供に救われました。 それからPGS検査ができたことはとても安心できました。 ドナーさんは若いですが夫は高齢なので精子の質にすこし心配がありました。 私たちは不妊で長く苦しんだので、もしお腹に授かった子が万がいち なんらかの異常がみつかっても育てるつもりではありましたが、 異常はない方がいいに決まっていますから移植前にその不安が少なくなることは本当にありがたかったです。妊娠期間のストレスは子供にもよくないでしょうし。 実際3個検査したうち1個異常が見つかったので検査をして本当によかったと思います。 ドナーのかた、そしてコウノトリ生殖医療センターの先生とスタッフの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。 この宝物を授けてくださって、そして夫を父親にしてくださって、そして私を産みの親と育ての親にしてくださってありがとうございます。 どんなに大変なことがあっても子供のいない人生の苦しさを思ったら全然たいしたことではありません。 大切に育てます!絶対に幸せにします! 本当にありがとうございました。 日本語コンサルタントの考察 1.患者様が「必死の覚悟」でコウノトリに来たことを今でもはっきりと覚えています。 興奮した気持ちで胚盤胞がたくさんできたと知らせたこと。 移植をするのは1度だけ。もし成功しなかったら、子どもを持つ夢はあきらめるという約束が彼女と家族の間である事を教えてくれたこと。私はショックを受け、胸が痛みました。 できる限り検査と治療を行い、併せて必ずPGS検査(着床前遺伝子スクリーニング)を行うべきですと勧めました。(このとき、ERA検査はまだ行っていませんでした。) 私たちは、1回目の移植で妊娠できるよう願い、幸運なことに「天は自ら助くるも者を助く」で、 1回目の移植ですぐに良い知らせをきくことができました。 2.医療技術の進歩により、現在はERA検査(子宮内膜着床能検査)により医師が一人ひとりに最適な着床時間を把握することができます。 正確な移植により、試行錯誤の時間を短縮させ、問題の根本を見つけ、解決策を見つけることに集中することができます。 コウノトリ生殖医療センターは「盡快&愉快」の「早く」そして「楽しく」2つの「快」の哲学を実現することができるのです。 *「盡快&愉快」の二つの「快」は当院の理念です。 「早く」...一日でも早くお子様をわが手に抱けるように 「楽しく」...楽しく治療を続けられるように

    #生殖医学
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